To.

失恋の先に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人を好きじゃなくなる。

 

 

 

「担降り」は十人十色、千差万別だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

わたしの担当は2020年をもって活動を休止した嵐の大野智だった。

そして「担降り」のトリガーとなったのはグループの無期限活動休止そして担当の芸能活動無期限休止だった。

 

 

自他共に認めるミーハーなわたしは今までいろんな人や物を好きになっては冷め、興味を持っては忘れ、を繰り返していた。

その中でもずっと好きだったというか極論わたしが死ぬまで好きかもしれないと恐れてまでいた嵐の大野智というアイドルから「担降り」をした。

 

 

 

 

 

 

活動休止を発表する少し前から「20周年を迎える嵐、解散か?」という噂もあり、わたし自身も彼に対して「最近どの番組でも眠そう」「やっぱり解散するのかな」ともやもやしていた。眠たそうなのはいつものことなのに、その噂のせいで変に意識してしまっていたのだと思う。

 

 

 

でも現場主義のわたしはコンサートに入ると忘れて、次もその次も入りたいと思っていた。だけど20周年という大きな節目で感動的なムードもあった反面、すべてが最後に思えて漠然と「もう終わりなのかな」とうっすら感じてしまいラストコンサートのようにも見えていた。

 

 

 

 

 

 

2019年1月27日、我らが木村拓哉様と長澤まさみ様のマスカレードホテルを観に行った帰り、「ドランクザン望どこに出てた?!」「わたしバーンズ勇気派だから」と騒いでいた帰りの車でその発表を知った。

 

 

 

 

きっと誰も望んでいない活動休止を彼だけが望んでいる。

「嵐としての活動を終えたい」と。

 

 

 

びっくりしたし、本当に、ただただびっくりした。SNSはその話題で持ち切り、友人からの心配のLINE。

 

この時の気持ちを思い出すと今でも少し心臓がきゅっとする。

 

 

 

 

 

 

 

本当に大好きだったし、彼らを追いかる中でいろんな気持ちを知れた。大昔、某サイトや某ブログでバズったこともあった。あの時の想像力と語彙力はどこにいった?でもこれはもうほぼ黒歴史だ。恥ずかしすぎる。友達もたくさんできたし老後は一緒の施設に入ろうね!!?と(半ば強制的に)約束した親友もできた。

 

でも2019年から2020年、嵐がいなくなる日までいろいろなことが起きすぎて追いかけるのが辛かった。ひとつひとつ終わっていく彼らの活動と共にずっと青く燃えていた嵐に対する炎が少しずつ赤くなって、揺れて、穏やかに小さくなっていったような気がする。

 

観ないかもと思っていたARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM "Record of Memories"を観てきた。大好きだった嵐がいて、楽しくて勝手に手は動くし煽られれば叫びたくなった。休止することがなければ今頃は「今回のツアーも楽しかったね」と余韻に浸っていたかもしれないと思うと少しだけ切ない気持ちにもなった。

 

嵐に対する炎が小さくなったとしても、何年も彼らを追いかけてきたわたしのアイデンティティは嵐でできている。だからわたしはほぼ嵐だ(?)何かの拍子に思い出すのは嵐の曲だったり言葉だったり、盛り上げる時は翔くんの煽りの真似に限る(?)20年かけて濃くなったわたしの中に流れる嵐の血は、20年かけないと薄くならないかもしれない…え怖……

 

 

 

 

 

5人でわちゃわちゃする嵐が大好きだった。バラバラなのに5人でいつもぎゅっとしていて内弁慶で、たくさんの人が嵐を好きなのに5人ぼっちの嵐が大好きだった。嵐の大野智が大好きだった。何事も始めることより続けることの方が難しいし怖いと思う、でも続けることより終わることの方が難しいし怖いと思う。アイドルになってくれてアイドルでいてくれてよかった。ファンになれてよかった。今の記憶がすべて無くなって嵐を見てもきっと好きになる。

 

 

 

テレビや雑誌で自担を見ることがなくなってもう少しで1年になる。意外とあっという間だった気がするけどそれはわたしの気持ちが変わったからなのかもしれない。

 

正直、2021年は嵐に気持ちが向かなかった。彼らのことがわからないことが多かった。一ファンには到底わからなくていいことなのかもしれないけど。

今は「降りて良かった」と思う。嵐に対する後悔や未練はない。いや嘘だ、後悔していることがある。全員にオンリーファンサをもらえなかったこととわたしがファンサをしてあげられなかったことだ(?)「撃って♡」ではなく「撃つね?」、「ハートつくって♡」ではなく「ハートつくるね♡」などの逆ファンサうちわを数年持ったのにも関わらず、彼らにファンサできなかったことをとても後悔している。でも嵐はわたしのファンではないしそれはファンサなのか?そもそも逆ファンサの逆とは?

自分でも言っていて意味がわからない。

 

 

 

翔くんが数年前のインタビューで「離れていく人には二の腕が取れるくらい大きく手を振って見送りたい」と言っていた。当時のこのインタビューはそういう意図ではなかった気がするけど。ファンサをしてこようとするファンにも手を振ってくれるだろうか。いやむしろ振るか…狂ってるし…

 

今までありがとね!楽しかった!とわたしも手を振っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

他に応援したい人がいる、応援したい人ができた、もっと言えば飽きた。疲れてしまった。嫌いではないけれどもう好きではない。いろいろな形の「担降り」があると思う。

好きだった大野智はもういなくて、大野智を好きだった自分ももういない。しっかり拗らせていることはわかってる、でもこれは失恋に近いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうか元気で、どうか幸せに。

 

2021年12月31日